権利擁護の取り組みが人材確保と「質の向上」につながる
2025-09-30

社会福祉法人平野の里 障害者支援施設あやめ寮 施設長 杉村健
自分たちで考えた新しい理念でReスタート
桜の名所として知られ、ほどよい自然と街並みが調和する埼玉県幸手市。昭和63年3月の設立以来、この地で知的障害者の生活介護や入所支援に取り組んできたのが、社会福祉法人平野の里です。
「法人努力とはまた違うのですが」と前置きしつつ、杉村健施設長は、恵まれた地域性を特徴のひとつに挙げます。平野の里が属するのは、埼葛北(さいかつきた)地域。3市2町による小さな自治体が連携する形の自立支援協議会です。
「人口もそれほど多くない埼葛北エリアですが、一つの法人の枠にとどまらず、法人同士が協力し、地域全体で職員同士が学び合える環境があります。研修も一律ではなく、新人から中堅、サービス管理者、そして正職員だけでなく非正規職員を対象にした研修企画まで、それぞれの役割、それぞれの成長段階に合わせてプログラムが用意されているのが特徴です」と杉村施設長は語ります。
障害者自立支援法により福祉制度が大きく変わりつつあった平成20年、法人の中心となる障害者支援施設あやめ寮で「接遇委員会」が立ち上がりました。職員有志によるこのチームは、現在の虐待防止・権利擁護委員会の前身とも言える存在です。委員会が動き出すと、接遇委員会の活動を通じて、職員自身が支援の在り方を見直す機会が増えました。その流れのなかで、職員の間で『理念をもっと自分たちの言葉で表現したい』という思いが自然に芽生えていきました。
もともとボトムアップの組織風土があったという平野の里。職員のみならず、利用者・保護者・ボランティアといった地域の関係者まで投票という形で参加し、新しい理念が誕生したのです。
所在地である「幸」「手」の言葉を盛り込み、施設の明るい雰囲気を表現した新理念は、「一人一人を思いやり、笑顔あふれるあたたかい施設~しあわせ育む、あやめの手~」
「開設から20年を経へての“Reスタート”という形で、利用者さんに支援し、どう向き合っていけばいいのか。新しい理念を心のよりどころとして、職員一人ひとりが支援のあり方を考え直し、業務に反映させるようになりました」と杉村施設長は振り返ります。

一人一台スマートフォンによるICT化
取組のひとつが、業務のICT化です。かつて主流だった手書きの記録はパソコンへと移行しましたが、それでも利用者が活動している日中は、記録のために机に向かう時間を確保できませんでした。この課題を解決したのがスマートフォンの一人一台貸与です。さらに、「LINE WORKS」や「Google Workspace」といったビジネスツールを活用することで、その場での支援記録作成や、一斉メールでの情報共有が可能になりました。自らの接遇を「見える化」するセルフチェックアンケートも毎月スマートフォンで実施しています。アンケートで挙げられた課題は委員会で検討し、個別のケース会議を行うなどを通じて、現場に還元されます。毎月少しずつ質問項目を変え、アンケートが形骸化しないよう工夫しているのも特徴です。
また、現場の効率化に取り組む一方で、研修の在り方についても課題を感じており、以前から模索を続けてきました。そこに新型コロナウィルス流行で埼玉県でも多くの対面研修が中止になりました。ここで注目したのが障害福祉に特化したeラーニングシステム「Special Learning(スペシャルラーニング)」です。
「平野の里では、正職員・パート職員の区別なく、全員にライセンスを付与し、隙間時間にスマートフォンで多様なコンテンツを視聴できる環境を整えました。たとえば、虐待防止や権利擁護、発達障害の特性理解、医療的ケアの基本といった動画教材を選んで学ぶことができます。これにより、これまで研修機会が限られていた変則勤務のパート職員も、動画を通じて最新の知識や支援の考え方を共有できるようになり、現場で同じ理解をもとに話し合えるようになったのです。視聴のきっかけとなるよう、「強化月間」のようにいくつかの動画をピックアップする工夫も行っています」
他法人との種別を越えた積極的な連携も、平野の里の大きな特徴です。「法人内だけで研修を完結させると、どうしても考えが固定化してしまう」と語る杉村施設長のもと、近隣法人との合同研修を早くから実施してきました。
「たとえば、高齢者施設では社会の第一線で活躍してきた方たちの晩年をケアする中で、障害者施設とは異なる権利擁護の視点があります。種別が違う施設からの学びは大きいと感じています」――杉村施設長はそう語ります。

支援の質の向上が人材確保にもつながる
人材確保は多くの社会福祉法人に共通する課題です。介護や福祉の現場で労働人口が不足するとい言われる「2025年問題」に対し、大澤理事長や杉村施設長は早くから危機感を抱いていました。事業の存続に直結するという切実な自覚をもって工夫を重ね、いまでは新卒採用で成果を上げ、他法人から参考にされる存在となっています。
ただし、人材は単に「数」が揃えばよいわけではありません。この業界で「働きたい」「成長したい」と思える人をいかに増やせるかが重要です。杉村施設長は「支援の質を高めることが、ひいては虐待防止にも人材確保にもつながる」と考えています。
ICTで業務の効率化や、全職員に等しく提供される研修機会は、法人全体の力を底上げする仕組みです。先述のeラーニングは、内定した学生にもアカウントを発行し、入職前からひと足早く学べるようにしています。費用は法人負担ではありますが、内定者フォローとしても機能しています。こうした人材を支える仕組みは在籍後も続き、小さなつまずきが大きな問題になる前に建設的に話し合える委員会活動や、風通しのよさにもつながっています。委員会活動や風通しのよさに加えて、外からの視点も重視しています。視察や実習生など外部の目を積極的に受け入れることで、常に緊張感を保ちながら業務に取り組む姿勢を大切にしています。
こうした姿勢に至るまでには、試行錯誤の積み重ねがありました。20年近く前、委員会発足当初に始めたパソコンによる記録作成のような新しい試みには、当時必ずしも前向きに受け止められたわけではありません。「本気度が足りなかった」と振り返る杉村施設長。先進施設を視察しながら試行錯誤を重ねた結果、いまではICT化や人材対策の成功が注目され「視察する側」から「視察される側」へと変わりました。
「何か基準をクリアしたら終わりということではありません。道と気づいたときに利用者に丁寧に向き合える職員が増え、仲間同士が自然に支え合える集団になっている――それが目標です。道半ばではありますが、徐々に支援力が高まり、職場全体の雰囲気も変わってきたことに、確かな変化を感じています」と杉村施設長は語ります。
平野の里は、10年先、20年先を見据え「利用者が安心して暮らし続けられる支援力」と「職員が誇りをもって働き続けられる職場づくり」を磨き続けています。
それは単なる業務改善ではなく、地域に「この仕事を続けたい」「ここで学びたい」と思える人を増やすための挑戦でもあります。
「わたしたちが目指すのは、質の高い支援を当たり前に実現できる集団。その積み重ねが、地域全体の福祉を支える力になるのです」と杉村施設長は語ります。
平野の里の歩みは、未来の担い手を育て、地域の福祉を持続させる確かな道標となっています。
